アルミの林檎はアメリカ産

日記のようなもの

ATP19

近頃全く書き物をしていなかったのをふと思い

これをそもそも書こうとすら思ってなかった日々を思い出し

ようやくゆっくりと過ごせるようになってきたので書こうかなと言ったところです

 

 

12/14,15に学校のイベントで展示したインスタレーション作品について…

専任教員からホスピタリティが無いとか言われて

実際会期中で自分の展示につきっきりで来た人と話すことができなかったのでここらで昇華させておきます

 

目標達成のために技術的な開発を注力したこともあって何を説明しようかと思った時に

動作原理を全て説明してしまうようなナンセンスなことはしたく無かったしそうすると思いからも離れていってしまうので展示での情報の増やし方については悩みました

人に聞かれたら全部話すんですけどね

 

 

ローカルで動作しているPCの挙動を遠隔で見れるか

技術的な目標地点はここにありました

ローカルなHTMLにDropbox APIを組み込むことでこの問題を解決させました

と一行で語れるのですがチュートリアルや様々な技術系サイトを見ながらこれを実装できるまで1ヶ月かかりました

そもそもJavaScriptに関する知識ゼロから始めたということはあると思いますが

 

別室で動いているPCが8台

ローカルで動くブラウザソフトは常にどのHTMLを開いているかとマウスポインタの座標軸をテキスト化してDropboxに毎秒2回送信

おかげさまで期間中はそもそもDropboxでどのPCが動いているかをチェックできたというわけです

自分の展示で使ったMacにはFinderとDropboxを連携させておいて、そこにProcessingを置けばDropbox内のテキストデータが書き換わる度に音声と画像データも変わっていく

といった構成でした

 

PC、パソコンとこの国では呼ばれているデバイスは果たしてパーソナルな存在なのだろうか

その疑問が今回のテーマでした

そもそもパーソナルコンピューターという言葉はどうして生まれたかという歴史から考えていくとメインフレームと呼ばれる巨大なコンピューターが登場します

企業のオフィスにコンピューターは一台だけ、超巨大で高性能なコンピューターに対して人は必要になった時にインターフェイスからアクセスする、そんな時代があったのです

そしてメインフレームに正対する存在がパーソナルコンピューターとなります

プロセッサーの小型化、省電力化、記録媒体の変遷、インターフェイスの革新等様々な要因を経てコンピューター=パソコンのイメージが固まります

 

今では一人一台以上コンピューターを持っているという時代、もちろんこれにはスマートフォンタブレット端末を含みます

今この国この言語ではスーパーコンピューターやサーバー等を除くほとんどの機械演算装置について"パソコン"という言葉を使います

 

結論に行き着く前にもう一つ考えたいことがあります、ネットワークの進化です

端末の小型化、個人所有の流れが進むことにタイミングを合わせてインターネットが普及します

現在映像、音楽分野でスタジオ等に納入されている高性能コンピューター等業務的なものを除くほとんどの端末はインターネットに接続していると考えていい状況です

そもそもOSがネットワークへの接続を前提に考えられており、Google等のオンライン検索エンジンが組み込まれ、辞書はウィキペディアを参照するといったぐらいインターネットは密接に関わってきております

 

ふと達観してみると今のパソコンって全くパーソナルな存在じゃ無いかもしれない

メインフレームに繋がれたインターフェイスみたいな存在の方が近いんじゃ無いかということを聞いてみたくて制作を進めました

しっかりとデータ送信プロセスを表面上隠し通したのは既存の巨大インターネット企業が行なっている個人データ収集のマネです

とはいってもリアルタイム処理しているのでデータの蓄積はないのですが

 

なんだか書きたいことを書いたような気がしてスッキリしてきたので唐突ですがおわり

またこの話は続きが書きたくなったら書きます

今晩から日記的に毎日書いてたのを再開させたい気分です