アルミの林檎はアメリカ産

日記のようなもの

テレビ観てたら思い出して

3/11直前の週末だからかどうもテレビではそれ関連のプログラムが多いです

今の小学校低学年はその後に生まれた世代なのだと思うとなんだか自分も時代の生き証人みたいな気がしてきます

そんなこと考えてたらあの日のことをそれなりに思い出してきたのでせっかくだからと思って書きなぐってみようと思います

 

 

小学5年生、4階の教室でした

校舎は鉄筋コンクリート造で柱を増やすなどの耐震工事済みでしたね

揺れなくすることで被害を減らすタイプの考え方です

 

授業は理科、電流の授業で電流計が4〜5人のグループに1台ずつありまして

そのグループで実験をしているまさにその時だったと思います

縦揺れでした

自分はずっと大きな地震といえば横揺れのイメージがあったので縦に揺れていることに心底驚いた覚えがあります

縦に全身がシェイクされるんですね

床だけじゃないんです、身体も揺れてるし視界もすごい揺れてるんです

視界はシャッター1秒で撮った徒競走の写真のイメージです

さらに全身が未体験の運動エネルギーでシェイクされるんです

もう完全なパニックの出来上がり

 

でもまぁ学校に通っていれば年に2〜3回は机の下に潜らされてきたわけで

結構反射的にその運動が取れるんですね

でも机の足をしっかり掴んでないと身体が吹っ飛ぶんじゃないかと思いました

これだけのことでも震度は5-でしたから震源地に近かった地域なんて想像できないですね

 

揺れが長いもんなんで人間慣れてくるんですよね

そのうち小学生の頃はインテリだった自分に聞いてくる同級生がいるんですよ

"どうすればいいのか"って

咄嗟の判断で机の上にある電流計が危ないから片付けた方がいいと

今思えばそうやって揺れてる中歩く方がよっぽど危ないんじゃないのかとか思いますが

先生も何も言えずに教卓にしがみついてるだけでしたから

 

そして長かった揺れも終われば兎に角情報が欲しいとなって

各教室に一台大型の液晶テレビがいらっしゃいまして

普段全く電源がつかないやつでしたがこの時ばかりは役に立とうとしてましたね

幸いにも電源も地上デジタルの受信設備も被害がなかったのでテレビは映りました

NHK観るとなんか東日本太平洋側一帯に黄色い線で津波注意報

そして東京都の島嶼部に津波が迫っている様子がヘリからの中継で映ってまして

キャスターさんは何を言ったらいいものなのかとあんまり音声情報がなく

震源に関する情報もないもんですからやっぱり関東大震災が起きたんだとばかりこの時は思ってました

民法にチャンネル変えても別に新しい情報がなかったのでテレビは消え

校舎が安全なのか云々ということでしばらく教室で待たされた後

校庭に全員避難しました

着の身着のままです

その後は確か多分崩れはしないだろうということで中に入って自分の帰り支度をして

親と一緒に帰ったんだっけなぁという感じでそこらへんは朧げ

家のライフラインは無事で突っ張り棚が突っ張りきれずにダイニングテーブルに落下したのが唯一の被害って感じ

兄弟の中で一番最初に帰ってきたものあって帰ってからは夜までNHKが流れ続けるテレビの前にずっと座ってた

津波注意報大津波警報になってて黄色い線は紫色に変わってて毒々しい

そういうのを見てどうもこれは思ってたより大変なことが起きてるらしいと

さらにそこで東北の沿岸部を飛ぶヘリから中継される光景を見て

"どうもこれは自分が思ってた関東大震災じゃない"

と思いながら映ってる光景が現実に思えなくて

内陸に向かってすごい速さで進む濁流に呑まれまいと必死に走る軽自動車

燃える海

石油コンビナートでの火災

中継が途切れる事はなくて日が暮れれば濁流の代わりに炎が映る

そこに人の命があるという考えには全く至らず

どうも阪神淡路みたいな大震災ってのが起きたんだろうってことだけがその日漠然と思ったこと

 

しばらく(と言っても何日も経たず)して学校が再開されて久々に外に出た時

妙に埃っぽいというか、全てに灰がかかったように目に見えたのはなぜか鮮明に覚えています

その後慣れたんだか晴れたんだかよくわかりませんが別に違和感を感じなくなりました

ちょうどその頃福島では水素爆発がどんどん起きてる頃だったなぁとは思いますが

あんまり関係ないことだろうなぁと自分の中では結論づけてます

 

こうしてその日以外のことも書いていくとどんどん長くなりますから適当に切りますが

思い出そうと思えばかなり思い出せる

それだけ印象に残ることだったのでしょうね