アルミの林檎はアメリカ産

日記のようなもの

騒音と噪音

教育は基本的に学校で教えたあと社会で継続して実践やさらなる学びを得られる機会を確保して1つのパッケージになるのではないかと思っているのですが

日本の音楽教育において言えば学校を出たあとが全く考えられていないことでパッケージとしては崩壊しており

それが生み出すのが歪な音楽産業という感覚でいます

 

幼稚園、保育園には必ずピアノとそれを弾ける人を用意しているぐらい幼年期から音楽教育については充実しているっていうのにいざ出口の方を見てみるとそこは荒涼とした大地

これでは誰が中学高校の音楽の授業を真面目に受けるというのでしょうか

これを納めることで将来どんなに豊かな自分が存在するかを想像させないようじゃ思春期の男子に鑑賞なぞ念仏と大差ないのです

 

高校の同期を集めて活動っぽいことをしていますが

いかに行政が用意する箱が不足しているかというのを実感します

待機バンド、待機演奏団体は相当数にのぼるかそれともそんな状況を見越して活動を諦める予備軍がいるのは想像に難くないです

だからと言って溜まったフラストレーションを公園で開放すればたちまち警察によって解散させられるでしょう

世知辛い世の中です

 

一般の団体がこうして苦労する一方、プロの団体は新規層の開拓が全くできず

召されるのが近い暇人ホイホイという状況

彼ら彼女らの偏食はそれは見事に実験の芽を日本から刈り取りました

 

 

何が言いたいって公共施設の練習室取ろうと思ったらどこもいっぱいで取れなかったって腹いせです